大般若経588巻と経箱・経櫃(朝光寺)
大般若経588巻と経箱・経櫃(朝光寺)について
読み方(ふりがな)
だいはんにゃきょう588かんときょうばこ・きょうびつ(ちょうこうじ)
員数
1式
指定内容
典籍
指定記号
書
所有者
朝光寺
指定年月日
1981年(昭和56年)5月22日
制作年代
大般若経
1370年(慶安3年)1巻
1375年(永和元年)1巻
1376年(永和2年)1巻
1390年(明徳元年)5巻
1391年(明徳2年)1巻
1393年(明徳4年)1巻
1406年(慶永13年)21巻
の計31巻です。
経箱
経箱60合のうち4合には、朱漆で1403年(応永10年)の銘があります。
経櫃
1合は1564年(永禄7年)、残る2合は1572年(元亀3年)の墨書銘があります。
規模または寸法
大般若経
600巻
経箱
縦32センチメートル
横42.5センチメートル
深さ5センチメートル
経櫃
- 1564年(永禄7年)のもの
外側の高さ50センチメートル
長側面72センチメートル
短側面47.5センチメートル
蓋の縁の高さ85センチメートル
公開・非公開について
普段は公開していません。
その他
大般若経
朝光寺には、南北朝末期の慶安・永和ごろの版経600巻が現存しています。当初、巻子本(かんすぼん)であったものを、現在の折本仕立てに改装したのは近世のことと考えられます。
このうち年記銘があるものは、
1370年(慶安3年)1巻
1375年(永和元年)1巻
1376年(永和2年)1巻
1390年(明徳元年)5巻
1391年(明徳2年)1巻
1393年(明徳4年)1巻
1406年(慶永13年)21巻
の計31巻です。この600巻が完全に揃えられるのに、実に37年間にわたる長い年月を経ています。また願主は奥書に名が記されているものだけで48あります。
なかでも、第449巻の「南噡部州大日本國作州錦織村光禅庵住持比丘至脱」とあり、第489巻の「三河國和田大濱修理亮入道沙彌道弘息女加喜子」とありますように、願主が東は静岡県から、西は岡山県と当時としては実に広い地域にわたり、また、施主も公家から僧や庶民まであらゆる階層に及んでいることがわかります。この点から、当時の寺勢の一端を知ることができます。
こうして長い年月と多くの人びとによって、1402年(慶永10年)ごろにはすでに寺有に帰していたことは、経箱裏の朱漆銘によって明らかです。そして、1405年(慶永13年)には加東市掎鹿寺蔵経で全巻を校合したことが第175巻の奥書にあります。
経箱
朝光寺の大般若経600巻は、60合の経箱に納め、さらに、それを3合の経櫃に納められています。
経箱は縦32センチメートル、横42.5センチメートル、深さ5センチメートルあります。作りは大変入念に細工され、縦横の側面をそれぞれ凹形に抉り取り枠を作り、そこへ別材を嵌めこみ、底板が張り合わせてあります。框(かまち)と内側には黒漆を、他の部分には黄褐色の漆がそれぞれ塗ってあります。
経箱60合のうち4合には、朱漆で1403年(応永10年)の銘があります。
経櫃
朝光寺所蔵の大般若経600巻を納めた経箱60合は、3合の経櫃に収納されています。
これは後補のもので、1合は1564年(永禄7年)、残る2合は1572年(元亀3年)の墨書銘があります。永禄のものは、外側の高さ50センチメートル、長側面72センチメートル、短側面47.5センチメートルの被せ蓋になっています。蓋の縁の高さ85センチメートル、また、箱には長側面に2本、短側面には1本、計6本の猫足形の脚がついています。櫃の底部から10センチメートルばかり脚が出ています。そして、短側面の脚の中央よりやや上部に太い緒が付いています。そして、底面と長側両面とに墨書銘があります。
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更新日:2019年02月19日